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視覚障害の様々な背景


 一口で、「視覚障害」と言ってもその見え方や、障害となった年齢や、その期間によって、様々な障害の特性や、心理状態、福祉や教育などに必要な配慮はそれぞれ異なってきます。
 人間は、日常生活で、外界の環境を視力、張力、触覚、嗅覚、味覚などの感覚を使い、外界からの情報を得て、周囲の状況や現在地、情報の取得を行っています。とりわけ視覚情報は、知覚の中でも、他の感覚よりも格段に多いといわれ、知覚情報の8割は、視覚に頼っているともいわれています。
 その視覚が失われる、または、大幅に制限されることによる、心理状態は、容易に理解できるものでもないと思います。また、視覚障害者同士でも、お互いの見えにくさなどを理解しあうことは、容易ではないということも言えます。
 それは、障害を負った時期や、その障害程度、継続期間、障害を負う前の経験や、障害を負った後の経験などにより、すべて違います。「視覚障害者だから。」と、いうような原則論では、まとめることはできませんが、一例として、障害の背景によるその特性を挙げておきます。

★先天性と後天性★
 先天性とは、母体の中で何らかの原因で、胎児の発達に障害がおこり、生まれた時点から、何らかの疾患や障害を持つということです。眼球の発達に何らかの異常がある場合には、「先天盲」や、「先天弱視」ということになります。ただし、未熟児網膜症のような場合には、それが胎児期の未発達によるものか、出生後のものによるものなのか、判断が難しいものもあります。
 後天性とは、生まれてからの成長段階で、何らかの疾患や、事故などによる傷害により、機能の低下や喪失を負うということです。ただし、乳幼児期に後天的な原因により、視覚に障害を負ったものと、先天性の視覚障害には、「視覚の体験」が無い、もしくは、限定的な視覚の体験しか無い、という意味では、ほぼ同じ障害の状態(先天的)であるといえます。

[先天盲]
生まれつき、あるいは、生後すぐに視機能を喪失することで、色や平面的に描かれた造形、空間的認知、人の顔の表情など実像としてみるという経験ができないため、視覚以外の感覚を組み合わせて身の周りの世界を概念的にとらえているといわれています。その概念的なとらえ方は、個々の生育過程での、スキンシップやコミュニケーションの受け方により、千差万別です。

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[先天弱視]
 生まれた時から、物の輪郭や色など見えてはいるものの、はっきりと見えるという経験ができないということは、自分自身が見えにくい眼で世界をとらえているという自覚を持てないということでもあります。よく見えるという状態と比較することもできないので、自らの見えにくさを説明することも非常に困難です。
 普段の行動は、見えにくさを感じさせないようなこともあり、外見からは、視覚に障害が有るということがわかりにくい場合が大半ですが、しっかりと見ようと相手の顔を凝視したり、離れたところにいる人を判別できなかったりすることで、周囲から誤解を受けてしまうことも少なくありません。
 文字の判別なども、輪郭がはっきりと見えないために、正しく書いているつもりでも、画数の多い漢字では、点が抜けていたり、線が足りなかったりしたまま正しく書いていると思い込んでいるということもあります。また、似たような字体を判別しにくいこともよくあります。(例えば、私の場合、“鳥”と“烏”の違いがよくわかりませんでした。)

[後天性の盲]
 晴眼もしくは、先天弱視から、全盲になるような場合は、「後天的な盲」ということができます。色や形、空間認識などは、視覚による経験があるので、喪失した資格を、聴覚や触覚で保管するということに修練を要します。「見る」ということに、執着してしまう傾向もあることも特徴です。見えなくなることで、自暴自棄になり、引きこもりなど、周囲との関係の断絶など自ら孤立してしまうこともあります。心理的ケアと、日常生活訓練(歩行訓練、点字、パソコンを活用したICT利活用など)や、就労維持や就労移行支援など福祉的ケアを必要とします。

[後天性の弱視]
 普通に見えていた状態から、視機能が著しく制限されることになり、日常の生活で様々な不便を感じることとなります。見えにくいということを、周囲に打ち明けることや、悟られることを極端に嫌う心理状態になることもあります。見えにくいという状態を周囲に理解されずに、悩むことや、視覚に頼った情報獲得から、別の感覚での補完に移行してゆくことに抵抗を感じるということもあります。

★障害を負う時期による福祉や教育的配慮★
 先天性の視覚障害の乳幼児期には、視覚による周囲の環境認知ができない、あるいは、著しく制限されてしまうため心身の発達への影響が懸念される。しかし、適切な育成環境を整えることで、その発達の遅れなどは、現れることはないということが通説になっています。
 適切な育成環境とは、スキンシップや優しい語り掛け、子どもの反応に即応的に対応するなどの、ごく当たり前の親子関係に加えて、物や、親の顔を触れさせながら色や形など、話し聞かせ、見ることで得ることのできないことを補ってゆく配慮などです。、医療的なケアに偏ることなく、しっかりとした盲教育の専門家に相談することが必要です。
 運動機能や、ジェスチャーなどの身体表現などは、他人の行動を模倣することにより獲得する要素も多いため、見えないことでのハンディキャップがあるとされますが、様々な工夫によりそれらを獲得してゆくことができます。

 学齢期からの視覚障害では、見えていたものが見えなくなるため、拡大文字の教科書や、拡大読書器などの様な補助具を用いて、学習支援を行う必要があります。墨字から点字への転換も早いうちから行っておくとスムースな学習が行えると思われます。また、パソコンを使うことで、普通の文字を喪失することもないので、パソコンを活用した学習も行われるようになってきていくはずです。

 青年期で視覚障害となると、それまでに学習してきたことを、実際に役立てることができなくなるなど、将来に大きな不安を抱えてしまうことになります。職種や就労の仕方の転換を迫られることもあるかもしれません。視覚障害者の職種として、あん摩マッサージ指圧、鍼灸があるほかにも、現在では、ICTを活用した職種も、視覚障害者の就労の門戸として開かれています。
〈ブログ内関連記事〉
視覚障害者の就労①(あん摩マッサージ指圧、はり、灸)
視覚障害者の就労②(広がる可能性)

 中高年以降からの視覚障害では、視覚による生活様式の期間が長い分だけ、その喪失感も大きくなる傾向があるようです。就労や日常生活の維持のためにも、福祉的ケアの情報をより多く知る必要があります。

★視覚障害による喪失★
 見えなくなることで失うものとして、以下の20の喪失があるとされています。

①身体の完全さの喪失、②保有感覚の信頼性の喪失、③環境の実感の喪失、④視覚的背景の喪失、 ⑤光のもたらす安らぎの喪失、⑥行動力の喪失、⑦日常生活動作の喪失、⑧文字によるコミュニケーションの喪失、⑨会話の容易さの喪失、⑩情報の入手の喪失、⑪目で見る楽しみの喪失、⑫美を鑑賞することの喪失、⑬リクリエーションの喪失、⑭職歴、職業的目標、および就業の機会の喪失、⑮経済的安定の喪失、⑯自立性の喪失、⑰社会的適切さの喪失、⑱目立たなさの喪失、⑲自尊心の喪失、および⑳豊かな人格形成の喪失である。


<トーマス・J・キャロル著 『失明』(1961年)より>
 ただし、トーマス・J・キャロルの時代に比べると、科学技術や、福祉制度などの発展により、その喪失を早期に回復できるようにもなってきています。
例えば、⑧文字によるコミュニケーションの喪失、⑩情報の入手の喪失、については、ICTの発達により、普通の文字を取り戻しやすくなり、情報入手環境もある程度確保されるようになってきました。。また、⑭職歴、職業的目標、および就業の機会の喪失、についても、わが国では、歴史的にも優れた支援システムを有しています。
 その他、障害者福祉関連の法整備や、バリアフリー新法、障害者差別解消法などの法的支援は、障害による喪失を社会的にやわらげ、回復させてゆくためのものであるともいえます。

★障害の受容★
 障害を受け入れるということは、以上に挙げたような喪失感を、一つずつ回復させてゆくこと、ともいえます。視覚障害の場合には、視覚による生活様式からの変更や、社会的関わりを視覚以外の感覚によるかかわり方に変えてゆくという過程が、障害を受容してゆくということになります。
 障害の受容には、物理的、技術的に喪失を回復させることよりも、見える風景の感動や楽しみの欠落、活動的生活の制約などによる心理的喪失感の回復を図ることが最も困難であるといえます。
 障害の受容には、特効薬の様なものはありません。家族や、周囲の人たちの理解も重要です。また、同じ障害を持つ者同士で、話しをしながらお互いの経験や心情を共有してゆくことも、障害を受け入れてゆくことにつながるはずです。


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 私たちは、東京都府中市内に在住する、目が見えない、見えにくいという障害を持つ当事者とその家族、そして、様々なサポートをしていただいている方々で活動をしています。
 市内には、およそ500人余りの視覚障害者がいるとされています、その他にも、障害未満の“ロービジョン”の方々を含めると、その数はさらに増えることとなります。府中視覚障害者福祉協会(府中視協)は、府中市内で生活する、視覚障害者のQOL(quality  of life:生活の質)の向上と、障害への理解を深めていただくための活動、及び、障害を持つ当事者とその家族の親睦を図り、日常生活での悩みや困りごとを共有して、その解決を図るために会員相互で協力し合い、共助では、補いきれないようなことについては、市政や福祉に働きかけて私たちの暮らしに反映させてゆくことをモットーにしています。

 視覚障害とは、単に、目が見えない、見えにくいということだけではなく、そのことにより、日常生活や、就労、就学などにおいて、様々な制約や不利益など、社会的障壁によって生じることによる障害であるといえます。

 私たち府中視協は、日々の活動を通して“障害が有る無しに関わらず、誰もがいつまでも安心して暮らし続けられるまちづくり”を、市民の皆様とともに、進めてゆきたいと思っています。
 もし、あなたの身近に、目が見えにくい、見えないことで悩んだり、困っているような方がいらっしゃいましたら、お声掛けをしていただき、私たち府中視協のことをお伝えください、また、私達とともに活動をしてみませんか?

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 バス旅行や、市内の歴史散策、盲卓球体験会など親睦行事のほか、視覚障害の理解をより深めるための講演会や、日常生活をより便利にするための講習会などを行っています。

 このブログでは、こうした活動の報告や、視覚障害をより知っていただけるような記事を綴ってゆきたいと思っています。