記事一覧

合理的配慮とは、

 合理的配慮とは、障害を持つ人が、障害を持たない人(健常者)と同等に、人権や社会活動を、等しく享受し、行使するために、その社会的障壁(物理的な障壁や、システム的な障壁など)を、個々の障害の程度やそれぞれの場面に応じて、個別に調整や変更をするということです。

★一方的な配慮は、合理的配慮とは言えません。★
 障害者権利条約が制定されるまでの過程では、障害のある当事者の方々の運動が推進力となりました。その時に合言葉として掲げられていたのが、“Nothing About Us Without Us”~「私たちを抜きに、私たちのことを決めないで」という言葉です。

 合理的配慮とは、それを提供する側と、受ける側で、必要とされる配慮を、個々の障害の特性に合わせて調整をしながら決められてゆくものでなければなりません。
 一方的に画一的な配慮では、合理的配慮とは言えません。
(例えば、視覚障害者なら、「点字を渡せばよい」、障害者をトイレに案内するときは、「障碍者用トイレ(だれでもトイレ)に、案内すればよい」など)

 私たち(障害当事者)にも自らに必要とされる配慮について、それを提供する側に対して、何が必要なのかを表明してゆく必要もあります。社会的弱者として受動的に配慮を受けるということから、自ら必要な配慮を求めてゆくということに、自分たちも意識を向けてゆくことが重要になってきています。

★必要な配慮は、一人一人違います。★
 視覚障害者と一言で言っても、その見えにくさや、その機能的な障害を負った背景によっても、それに対する配慮は、一人ひとり異なってきます。
 合理的配慮を提供する側には、障害についての多面的な理解が求められてきます。そのためには、より多くの障害当事者との対話や交流も必要となると思います。多くの事例を集めて、配慮の引き出しを増やしてゆくことが求められます。

【視覚障害者への配慮の一例】
見る、読む、書く:
点字文書の提示、拡大文字の文書の提示、拡大読書器の使用、代読、音声録音、代読や対面朗読、テキストデータの提示、代筆、・・・など
移動:
点字ブロック、音声誘導、大きく見やすい案内標識、適切なヒューマンサポート、盲導犬の受け入れ、・・・など
環境:
部屋の明るさの調整、通路床面に物を放置しない、・・・など
これは、あくまでも一例です。必要な配慮は、一人一人違うということを理解して、個々に必要な配慮を伝えてゆく必要があります。

★配慮が合理的であるということ★
 まず、合理的とは、障害当事者にとって、その配慮が、必要かつ適切な内容であるかということです。障害当事者の主体性を尊重し、能力を発揮できるということが個人の尊厳の尊重ということとなります。
 そして、過剰な配慮は、個人の自尊心を傷つけることにもなります一定の機能的な障害が有っても、日常のすべてのことについて、介助が必要ということではありません。
 例えば、喫茶店でコーヒーを飲むとき、介助者や定員が、ミルクや砂糖を勝手に入れてしまうことは過剰な配慮といえます。テーブル上の配置を教えてもらうか、ミルクや砂糖を手渡すまでで十分だということです。(「味の好みがある。」ということではなく、「カップにミルクや砂糖を入れることは、見えなくても自分でできる。」ということです。ただし、「入れてください。」と頼まれた際には、そのようにしてください。)

 そして、配慮を行う行政機関や民間事業者にとっての“合理的”とは、その障害を持つ者への対応をするための調整や変更が、他の人の生活や社会活動を大きく阻害してしまったり、あまりにも負担が大きすぎたりする場合には、そのことを説明したうえで、合理的ではないとして、配慮を断ることもできます。
①事務・事業活動への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)
 ②実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)
 ③費用・負担の程度
 ④事務・事業規模
 ⑤財政・財務状況

ただし、「過重な負担」を理由として配慮を断る場合は、配慮を求めた本人にその理由を説明する義務があります。また、負担が少ない形で他の配慮が実現できないか検討することが望ましいとされています。

★配慮を受ける当事者の権利★
  障害当事者が、行政機関や民間事業者に対して、合理的配慮を求めることは、法的な権利として認められました。ただし、個々の障害当事者の特性や、配慮を必要とする場面など千差万別です。配慮を受ける本人は、自身に必要な配慮を自ら表明する必要があります。また、障害によっては、自らの意思をうまく伝えられないということや、子どもの場合には、自ら必要な配慮を伝えることは困難です。その場合には、家族や、その本人をよく知った介助者などが、必要な配慮を求めることとなります。
 また、障害当事者が、明らかに何か困っている様子を見かけたら、声掛けなどにより、配慮が必要なのかを確認することも必要です。

★行政機関と民間事業者の義務の違いについて★
  障害が有ることでサービスの提供や、入店を断ることや、入社試験などを受けさせないことなど、“不当な差別的取り扱い”については、行政も民間であっても禁止されています。
 一方、“合理的配慮の提供”については、行政機関は、法的義務であり、民間事業者は、努力義務となっています。

★思いやりと気づきの社会の実現へ、★
 障害が有っても、個人の尊厳が保たれ、健常である者と同等の人権や文化的生活、社会的恩恵を等しく享受できるようにすることを目的に、障害者差別解消法をはじめ、障害者福祉関連の法律が施行されてきました。

 それらが理想とする社会は、障害が有る無しに関わらず、誰もが暮らして行きやすい社会の実現なのだろうと思います。そのためには、地道に、個別具体的な合理的配慮の実施と、粘り強いお互いの対話や、工夫が必要です。また、学校や企業内での、ノーマライゼーション教育の普及と充実も重要になってきます。
 このような取り組みの先に、法律などを意識しなくとも、“気づきと思いやりの社会”が、実現する日がいつか来るのではないでしょうか。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

fuchushikaku183

Author:fuchushikaku183
ヘルプカード(画像)

 私たちは、東京都府中市内に在住する、目が見えない、見えにくいという障害を持つ当事者とその家族、そして、様々なサポートをしていただいている方々で活動をしています。
 市内には、およそ500人余りの視覚障害者がいるとされています、その他にも、障害未満の“ロービジョン”の方々を含めると、その数はさらに増えることとなります。府中視覚障害者福祉協会(府中視協)は、府中市内で生活する、視覚障害者のQOL(quality  of life:生活の質)の向上と、障害への理解を深めていただくための活動、及び、障害を持つ当事者とその家族の親睦を図り、日常生活での悩みや困りごとを共有して、その解決を図るために会員相互で協力し合い、共助では、補いきれないようなことについては、市政や福祉に働きかけて私たちの暮らしに反映させてゆくことをモットーにしています。

 視覚障害とは、単に、目が見えない、見えにくいということだけではなく、そのことにより、日常生活や、就労、就学などにおいて、様々な制約や不利益など、社会的障壁によって生じることによる障害であるといえます。

 私たち府中視協は、日々の活動を通して“障害が有る無しに関わらず、誰もがいつまでも安心して暮らし続けられるまちづくり”を、市民の皆様とともに、進めてゆきたいと思っています。
 もし、あなたの身近に、目が見えにくい、見えないことで悩んだり、困っているような方がいらっしゃいましたら、お声掛けをしていただき、私たち府中視協のことをお伝えください、また、私達とともに活動をしてみませんか?

 府中視協では、障害当事者やそのご家族で会員として一緒に活動したい方、ならびに一緒に活動を手伝っていただけるボランティアさんを募っています。
 バス旅行や、市内の歴史散策、盲卓球体験会など親睦行事のほか、視覚障害の理解をより深めるための講演会や、日常生活をより便利にするための講習会などを行っています。

 このブログでは、こうした活動の報告や、視覚障害をより知っていただけるような記事を綴ってゆきたいと思っています。